2014/04
2012年の岐阜清流国体、馬術競技大会の公式テーマを演奏したwingのリーダー、
そして東日本大震災被災地支援プロジェクト「千の音色でつなぐ絆」の奏者として
も話題となったヴァイオリニスト、濱島秀行さんのインタビュー。
幼少期のヴァイオリンとの出会いから現在の活動にいたるまで、
ゆっくりとお話をうかがうことができました。
ヴァイオリン、クラシック音楽のファンの方も、
また今までヴァイオリンの音色にふれる機会がなかった方も、
きっと心引き込まれる濱島さんの演奏。
その魅力の源泉に迫ります。
― こんにちは。本日はよろしくお願いいたします。
さっそくですが、濱島さんは5歳からヴァイオリンを始められたそうですね。
始めたきっかけは何だったのでしょうか。
はい。
もともと従兄弟がヴァイオリンをやっていまして、僕もそれを触らせて頂く機会があったそうです。その時「僕もヴァイオリンをやりたい!」と言ったのが最初だったと聞いています。今では覚えていませんが(笑)
母はピアノが好きで、中学校の音楽の先生でもありました。そして父もチェロを弾いていましたので、僕にも何か習わせたいという思いはあったようです。
― 音楽一家ですね。やはり素質があったんですね。
いえ、素質というより環境だと思います。
音楽に触れやすい環境があったのでしょうね。
ただ、レッスン自体は先生に任せていたようで、自宅では母親が基本的なリズムや、音が外れていたら指摘するなど、ちょっとしたアドバイスをくれる程度でした。
― ご自宅でどのくらい練習していたんですか?
時期によりますが、子供の頃は凄く練習が嫌いでして(笑)、でも毎日欠かさず続けていました。小学生の頃は毎日20~30分でしょうか。毎朝学校に行く前の決まった時間に課題曲を練習したり、スケールと言いますが音階練習をしたりしていました。
ヴァイオリンの練習は毎日の日課に入っていましたので、これが当たり前の生活でした。
― 朝顔を洗ったり歯を磨くのと同じ感覚で?
そうです。同じような感覚で、この時間になったらヴァイオリンの練習と。
それだけ練習を続けていましたが、僕の中ではヴァイオリンはずっと趣味の存在でした。
ですので、中学校では陸上部に入り、吹奏楽部は選びませんでした。
走るのも好きだったんです。
― ではヴァイオリンを仕事にしたいと思ったのはいつ頃からですか?
高校生の時、母が老人ホームで慰問演奏のボランティアをしていたのですが、一度ヴァイオリンを持って連れて行ってもらった事があるんですよ。演奏してみない?と声をかけて頂けて。
実際入所されているお年寄りの皆さんの前で演奏してみると、演奏する前と後でそのお年寄りの方々の反応が劇的に変わったんですよ。
特に懐メロや童謡唱歌を演奏すると、自然と歌声が聞こえてきたり、手拍子が始まったり、硬い表情だった方が自然と笑顔になったり…そういう姿を見て、僕も音楽で、このヴァイオリンで人を癒やす仕事につきたいなと。
― お年寄りのそんな姿を見たら嬉しいですね。
それが音楽療法士になるきっかけだったのですね?
そうなんです。
終わると皆さん声をかけてくれるんですよ。「ありがとう、楽しい時間をありがとう」って。
そんな体験をした時、何かのメディアで岐阜県音楽療法研究所の特集があったんです。それを目にして、僕の進む道はこれだ!と。
それまで音楽(楽器)で食べていくには演奏家か学校の先生しかないと思っていたのですが、こんな仕事があるんだ、と興味を持ちまして…それから音楽療法研究所に通い始めました。
― 今でも音楽療法士としてご活躍中なんですよね。
はい。僕の大切な仕事の一つです。
医療法人かがやき総合在宅医療クリニックの専属音楽療法士として勤務しています。
在宅で療養されている患者さんのご自宅にうかがって、患者さんご本人やご家族の方に音楽療法をほどこすのが僕の役目です。目の前でヴァイオリンを演奏し、癒しの時間を提供するのです。
― とても喜ばれるのではないですか?
例えば、寝たきりの方がおられて、介護している奥様が言うには、その方は「荒城の月」が大好きだったそうなんですよ。それで、その荒城の月をヴァイオリンで弾かせて頂きました。そしたら突然上半身を起こして拍手してくれたんですよ。その姿を見て奥様は涙を流されたんです。
あと、こんな事もあります。カラオケが大好きなお年寄りがいて、僕のヴァイオリンに合わせて演歌を熱唱してくれるんです。毎回音楽療法の時間を凄く楽しみにしてくれていて、みるみる元気になられました。
交通事故で半身麻痺となった女性の方もおられました。その方はもともと音楽が好きで、ピアノも弾いていたそうです。その方のご自宅におうかがいした時の事です。「私まだ片手が動くから、先生と一緒にセッションしてみたい。」とおっしゃって、その方の演奏するキーボードと一緒にディズニーの曲などをセッションしました。終ったあと「音楽ってこんなに楽しいんですね。」と言ったその一言が、今でも忘れられません。
― 泣いちゃいそうですね。
本当に泣きそうになります。
患者さんだけではなくて、ご家族の方も凄く喜んでくれるんですね。
やはり介護していると、皆さんもの凄いストレスと身体的な疲労を負っているんですよ。それを音楽の力で解き放つ事ができるのかな、と思っています。
― 音楽療法の今後の課題などありますか?
やはりまだまだ仕事として認められていないところがありまして、国家資格でもありませんので、医療の現場でも介護の現場でも、それだけで食べていくことが出来ないのが現状なんですよ。凄く大切なものだと思うので、もっとたくさんの人にこの仕事を知って頂いて、認められると良いなと思います。そして、これを伝えていくのが僕の役割りだと思っています。
― 濱島さんのコンサートについてお聞きしたいのですが、具体的にコンサートではどんな事をされるのですか?
他のヴァイオリニストの方がやらないような事をやっています(笑)
クラシック音楽とかヴァイオリンって、どうしても高尚なイメージというか、敷居が高いイメージがあるじゃないですか。そのイメージを良い意味で崩していきたいのです。もっと身近に感じて頂けるような、そんな演奏会にしたいと思っています。
例えば、僕の演奏スタイルの一つなのですが、お客様の近くで演奏する、というのがあります。ステージから降りて客席まで入っていって客席をまわり、まさにお客様の耳元で演奏するのです。
他にも、フィギアスケートの浅田真央ちゃんが過去に使用していた曲「チャールダーシュ」という曲があるのですが、この曲を真央ちゃんの得意技「トリプルアクセル」をしながら演奏したりとか(笑)
これはアクロバティックな演奏で、とても盛り上がります。
― 濱島さんのコンサートのクライマックスで登場するあれですね。
確かにあれは凄いインパクトですよね(笑)
しかし、客席をまわって一人一人の耳元で演奏するのも凄く大変だと思うんですよ(笑)
もちろん、大きな会場では全員のところまで行けませんが、できるだけたくさんの方の近くで弾きたいと思っています。
結婚式に呼んで頂いて演奏する機会も多いのですが、とても喜んで頂けますよ。
「お二人の結婚生活が良い方向に回っていくよう願いを込めて演奏します。」「いつもよりたくさん回っています」とか(笑)
お子様からお年寄りまで、皆さんで楽しめるのが、僕のコンサートの魅力です。
― 濱島さんの演奏は音も優しいですよね。
よく言われるんですよ。
音楽療法の経験が生きているのかも知れないですね。
― 凄く癒やされますよ。
コンサートのスケジュールはホームページに掲載されていますね。
はい。ぜひご覧ください。
― 濱島さんは、東日本大震災の被災地支援プロジェクトにも参加されたそうですね。
はい。「千の音色でつなぐ絆プロジェクト」というのがありまして。津波被害をうけた陸前高田市の流木や震災瓦礫から作られたヴァイオリンを千人のヴァイオリニストが全国で弾き継いでいくという試みなのですが、60人目くらいに僕も弾かせて頂きました。震災の悲劇を風化させないこと、亡くなった方への鎮魂の祈りを捧げることを目的としています。
― これをきっかけに実際に陸前高田市へ足を運んだそうですね。
ええ。
2013年9月に行きました。
現地の福祉施設、カフェ、観光施設などで演奏もさせて頂きました。
陸前高田市はまだ何も無い状態で、学校も、病院も、お店も、市役所も、全て仮設なんですよ。これから町をつくるところなんです。皆さんそんな中で生活されています。もう3年ですよね。でも全然復興していない印象です。
これからも毎年1回は足を運んで、復興を見守りつつ生の演奏をお届けしたいと思っています。
今度は病院や小学校などもおとずれたいですね。
― ヴァイオリン教室も開いているそうですが、濱島さんの教室の特徴を教えてください。
一つは、出張レッスンをするところですね。
家庭教師のように、生徒さんのお宅に訪問してレッスンしています。
小さなお子様をお持ちの方には特に喜ばれていますよ。
それと、ヴァイオリンを楽しんで欲しいというのが1番の目的ですので、あまり厳しい指導はしないところでしょうか。それぞれのペースに合わせて教えています。
― ヴァイオリンを嫌いになってしまったら元も子もないですものね。
そうですね。続かないですよね。
親が習わせたいけど当の本人はやる気が無い、というケースもあります。
でも、ヴァイオリンを好きになるのもきっかけ一つだと思うんですよね。僕も小さい時、練習がすごく嫌いで、やめたいと思っていた時期がありました。まだ全然うまく弾けなかったし、顎や肩も痛くなるものですから、凄く嫌な時期があったんです。
それでも、ある日地域のクリスマスコンサートがあって、そこで弾かせてもらえたんですね。その時僕の演奏を聞いていたおじいさんが、僕の演奏を凄く褒めてくれまして。
それがきっかけでちょっとヴァイオリンが好きになりました(笑)
ですので、人との出会いとか、ちょっとした一言で変われるものだと思います。
だから僕の教室でも、あまりヴァイオリンを好きでなかった子でも好きになってくれたら良いな、と思って教えています。
― 音楽療法士としても、コンサートや教室もお忙しそうですが、今後の活動予定について教えて下さい。
そうですね、今まで愛知県、岐阜県を中心とした中部圏で活動していましたが、その範囲も広がりつつあります。
先程もお話しましたが、陸前高田市にも毎年足を運んで演奏を続けたいですし、もっともっと多くの方に、僕のヴァイオリンを聴いて頂きたいですね。
近いうちにソロのCDも出したいと思っています。
wingも来年には活動を再開する予定で考えています。ぜひ楽しみにしていてください。
― CDの販売、wingの情報などもホームページでお知らせ頂けるんですよね。
これからもご活躍楽しみにしています。
本日はありがとうございました。
~プロフィール~
濱島 秀行(はまじま ひでゆき)
生年月日/1979年4月12日生まれ
出身地/愛知県豊橋市
音色に定評のある異色ヴァイオリニスト
『はまじまヴァイオリン教室』主宰
岐阜県音楽療法士。社会福祉士
音楽一家に生まれ、
5歳より才能教育研究会(スズキメソード)にてバイオリンを始める。
2004年4月に常勤の音楽療法士として岐阜市内の病院に勤務する。
2005年11月より病院に勤務する傍らソロ活動をスタート。
東海地区を拠点にユニット・ソロ・ゲスト出演等、全国で年間150回以上のコンサートを行うなど、現在まで幅広い音楽活動を精力的に展開している。
十八番は、モンティの『チャールダーシュ』
濱島秀行 公式ホームページ